佛の御心を体現したかのような尊い心を持つトミは欠かさずに続けていた毎日の宝参りの道中に武家出身の楠右エ門に見初められ、夫婦になります。
二人とも明るく働き者でありましたが、なかなか子宝に恵まれずにおりました。しかしおたきさまへの願掛けが実り、滝姫が生まれます。
滝姫を授かった古部夫妻はたいそう喜び、おたきさまへの感謝の証として沢山の杉や檜を植え、弁天様の前には良く形の揃った夫婦杉を植えました。
夫婦杉は現在に到るまで、天災や火災にも耐え、参詣される人々の心を癒すと共に、健康と良縁、子宝の御加護を授けて下さいます。
昔からおたきさまに厚い信仰を寄せていた古部家ですが、瀧姫を授かってからは親子三人、一日も欠かすこと無く宝参りを続けました。
村の人々もその信心深さに心を打たれ、院主、御信心の皆様によって、少しずつ瀧法寺再興の兆しが見えてきたのです。もちろん古部トミさんの二百文の浄財が大きな力になった事は言うまでもありません。
瀧姫はすくすくと育ち、母親であるトミさんに似て、たいそう美しく聡明で気立ての良い娘になっていきました。
そして十三佛虚空藏尊宝大師さまのお慈悲のもと、信心の皆様のおかげにより、慶安五年(一六五二年)、よろこびの大法要が行われ、瀧法寺の姿が一部復興いたしました。古部家の三人をはじめ、皆さんは喜びに涙を流されました。
信心の皆様と共に復興へと精進する折り、紀州のお殿様である徳川頼宣公が紀南地区へおいでになられます。
瀧法寺の院主は信心深い印南伝之丞というお侍さまに相談し、頼宣公を瀧法寺にお泊めします。院主は、瀧法寺と湯川一族との縁などをお話され、そのもてなしと、徳川家との縁を鑑みた頼宣公は南陽山、南龍院の号と五百石の扶持、灯明料を下賜されました。
信仰厚く、物覚えも優れていた瀧姫は院主から様々なお話を聞き、お経文を教わり、その姿は佛さまにも似て、村人やその近郷の人達までが古部家の佛さまを拝みにお参りに来ました。
その為、古部家は瀧法寺の「かくれの精舎」とも呼ばれました。
瀧姫は十三歳の頃、おたきさまの御本尊、虚空藏さまに十三参りを済まし、家業を手伝いながら法教の勉強にも勤め、十六歳の頃には此の世のお浄土として瀧法寺にお参りいし、報恩感謝のお勤めに励みました。