和歌山県日高郡印南町南原周辺は古くは「おたき」と呼ばれ、二千年以上の昔から熊野白浜方面への道が開け、熊野古道の中心としてこの界隈の文化の基となってきました。
人皇第三十八代、天智天皇がまだ中大兄皇子であった頃、瀧法寺に宝参りをなされ、「日本国中の人々が平和で明るく幸せになるように」とお祈りをされました。天皇に即位されてからもご祈願なされ、宝の玉の輝くなかに金龍満願不動明王様を拝見され、災難厄除、願い事成就のお告げを頂き、その吉兆に歓喜され伊奈瀧に大宝灯(天智灯)を献納されています。
現在の瀧法寺ではおたきの霊水を頂く場所に「病い抜き不動明王」として金龍満願不動明王さまをお祀りしております。
ありがたい「智恵の利剣」を持ち、心の悩みや体の病気を抜き取って健康体にし、長生きをさせて頂くみ佛です。
天智天皇の御孫である市原王もまた、瀧法寺の無上の幸を頂いた一人でした。
若い頃に瀧法寺をお参りした市原王は、このありがたい玉の幸にいたく心を打たれ、歌を詠まれました。
左にあります歌は『万葉集』の四一二に収められ、おたきの「日本一の玉の幸」を今日に伝えています。
このように伊奈瀧は昔から宝の玉の輝く、霊験あらたかなお山として多くの人々から仰がれています。
おたき寺が天正十三年(一五八五年)に豊臣軍に焼き討ちにあうまでは、日高郡全体、そして遙か遠方からも多数のお参りがありました。
熊野古道の要衝であり、またありがたい御加護を頂ける伊奈瀧は日高郡紀南地区において、お大師さま寺院の本山格をつとめていました。